外国語が得意な人は、考えるときにも外国語で考えている。
いったん母国語で解釈して、外国語で話すなんてしちめんどくさいことは、しないんだそうです。
これは先日手に取ったAERA(06/06/05号)で見かけた記事です。
英語で質問されて英語で返す場面の脳の反応を、英語に熟達した人と、勉強を始めて間もない人とで調べると、勉強して間もない人のほうは脳が活発に動いているのですが、熟達しているほうは、特別な活動を起こさずに返事をしているそうです。
勉強して間もないほうの脳の特別な活動とは、いったん自分の思考言語である日本語に翻訳し、アウトプットする際に、英語に再翻訳してる動きなんですね。
僕も英語を見たり聞いたりすると、一度日本語に置き換えてます。
達者な人になると、そんなことをしないで直接英語や中国語で理解し、考えているわけですか。
そういえば、海外で育ったバイリンガルの兄弟が「喧嘩を始めると、自然と英語でののしりあう。普段は日本語で喋っているのにおかしいね。」とか、「歌を作るときは英語で考えたほうがしっくり来るし、歌詞もみんな英語で思い浮かんでくるんだよね」というのを聞いたことがあります。(ラブサイケデリコだったかな?)
脳そのものが『英語脳』『日本語脳』と切り替えてるわけですか。
MacとWindowsを必要に応じて使い分けるみたいですね。
ちなみにasahi.comでも、脳の働きに焦点を当てて手短に紹介した記事がありました。
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ここが違う「バイリンガル脳」日英のグループが解明
英会話のとき、ものごとを英語で考えられるほど上達した人は、脳の特定部位が活発に働いていることを、英国と京都大などのグループが確かめた。
記事によると思考回路の切り替えに関与する部位があるみたいですね。
普段接触している以外の言語を聞いたり、表現する機会が増えると、「相手の思考ベースに自分のOSをあわせにいく。そのほうが意思疎通が早いし理解しやすくて効率的だから。」として尾状核(びじょうかく)という場所のうち、その左側が活発に働き出す。
AERAの記事とこの記事をあわせると、そう解釈できます。
さて、このことと直接関係があるかわかりませんが、僕は方言のある人と喋っていると、だんだんとうつることがあります。
関西弁の人や高知弁の人と飲んでいると、イントネーションや語尾がそのようになるんです。広島、博多も移りやすいですね。
で、酒が進むと特にシンクロ率が高くなりましてね。以前、
なにわともあれの中の人たちと朝まで飲んだときは、かなりごちゃ混ぜでした。
ここにもしオカマさんがいたら、もっとややこしいことになります。
あれは不思議なんですが、「その人と喋る上でそうしたほうが自然だからそうなった」というふうに抗いがたい流れでそうなるんですね。
そこで「ニセ関西弁を喋りやがって」と批判されると「や、いかんいかん。」と標準語に正すと、こんどはどうも違和感を覚えるのです。テンポがあわないもどかしさを感じる。常日頃使っている標準語なのに。
バイリンガル脳の話を読むと、訛りがうつるというのは、その人と手っ取り早く溶け込みたいと体が反応している表れなのかなと思いました。
もし、方言がうつりやすい背景に、尾状核の動きが関係しているとすれば、バイリンガル脳にもなりやすいのでしょうか。
だとすると、英語の習得も意外と楽しいかもしれません。
だって、英語ばっかり喋る人と仲良くなろうとすればいいんですもん。
この記事のもと:
▼ 宮脇日記
和歌山弁を恥ずかしがる子どもたち?
本編中ではまったく触れていませんが、和歌山出身の宮脇さんが日記の中で「意識的にこちらのイントネーションでがんばってしゃべっているのは、相手が聞き取りづらいという一点だけなのです。」と書かれていたのを読んで、標準語に翻訳するのは理解しあうための気遣い・歩み寄りなのだな。と思っていたのが下地にあります。
理解のために話す側が歩み寄る。
一方バイリンガル脳の話は、聞く側の頭脳レベルで歩み寄る動作だなあと、僕の体の中で繋がったんです。
で、普段と異なる言語系となじみやすい人というのは、外国語にもなじみやすいのかな。と思った次第。