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| 2016.07.25 Monday | | - | author : スポンサードリンク |

成人式の円滑運営に、タウンミーティングメソッドはどうか。

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今年の成人式でも、成人式の会場で新成人が暴れたそうです。
▼新成人、祝辞の最中に造花蹴って逮捕…埼玉・春日部

「また暴れましたよ。」と嫁さんに話したら、「そりゃ、その場で恥をかかせればいいんじゃないの。」との対策が出てきました。

「『やったら面白いだろうと思った』酔っ払いが壇上に上がったとするじゃない。」

「ふんふん」

「壇上の人にいたずらしたり、物を壊し始めた。」

「ほうほう」

「すかさず観客席から「馬鹿じゃねーの、てめー!クソして寝ろ!!」とか「おもしろくないよ一発屋。」などの罵声が飛ぶ。「ああ、やめときゃよかった。」「やらなくて良かった。」ていう雰囲気が形成されるわけですよ。」

「なるほどね」

「ほら、場が荒れるかどうかって、雰囲気に左右されるでしょう。荒れ始めで反対向きの雰囲気を作り上げて、荒れにくくするのがポイントね。」

「でも、一般人が野次を飛ばすのはなかなか難しいでしょ。」

「そこは仕込んでおくのよ。見た目は20前後で柔和だけど実は武闘派がいいわね。」

「某国与党がしこんだタウンミーティングの方法論ですな。」

「総会屋、ともいうわね。」

うーん、大変です。
そんな手間かけてまでやるものなのか、成人式って。



成人式って何でやるの?
冗談はさておき、そもそも成人式が荒れたり参加者の態度がよろしくない背景には、なぜ自治体が学校の朝礼みたいな成人式をやるのか、式に込められた意味がわからないっていうのもあると思います。
成長を祝うのか?地域社会へのイニシエーションなのか?

子供の成長を祝う場であれば、七五三などのイベントがあります。
しかし、そうした行事はとてもプライベートなこと。
あと入学式みたいに、これから所属する団体とともに、その個人を認めたり歓迎する場としての意味を持つものがあります。
コンセプトがはっきりしています。

でも役所が七五三のお祝いをやってくれるなんて聞いたことが無い。
それで「おめでとう」といわれても、なぜこのタイミングだけお祝いを言われるのか釈然としない。

昔と違って、生まれ育った地域の外で暮らしたり、働いてる人もいるわけだから、地域社会への帰属意識って一様じゃないです。
「今日から地域社会に貢献するように」といわれても、「いや、他県で働くんです、オレ」なんて人には噛み合わない。

強いて言うなら同窓会のきっかけでしょうか。
そうであれば、成人式を自治体が主催しないというのは、アリな判断かもしれない。
じゃあ成人式はプライベートなものと認識していけばいいのかな?



ひっそりと小さくやればいいの?
ちなみに、もしも子供の成長を祝うことがメインであれば、どうなるのか想像してみました。
うちの子育ての目的は「親の保護が無くても一人でしっかり生きていける人間にすること」
であれば、成人とは卒業と同義になるでしょう。

保護者だった人が、それまでの保護と干渉を終了し、独り立ちするわが子へ最後の激励をして送り出す、子供にとっては、保護者からの卒業です。

親子の絆はずっと続くかもしれないけど、保護者と子供ではない。お互いにもたれあっていた部分を切り離して親離れ・子離れを果たします。
これは泣けそうですが、ひとつの区切りとして成人の儀式があるのは良さそうです。



子供の成長に関わっているのは親だけじゃないよって話
一方、きれいな建前を踏まえておくと、「子供は地域社会全体で保護し、育てるもの。」という思想があって、実際、子育てにおいては、学校や自治体などのさまざまな人たちの世話になっています。
これは、子供の時にはわからないけど、子供を育てる側に立つと、とてもよくわかります。

その延長として、「いままで親とともに子供を育成してきた地域として、お祝いをする」という文脈なのだと理解できますが、育てる側と、育てられる側の意識が乖離してしまって、「なんで呼ばれてるんだろ?」な状態が生まれてるんだと思います。推論だけど。


これは、新成人と親以外で育成に携わった人たちが、絆を再確認できるか否かがポイントなのかなと、さらに推論してみます。

たとえば、学校を母体とし、保護者たちも参加するクラブがあります。
休日に、今だと校庭でどんど焼きをやったり、お餅をついたりするんだけど、そういうものに子供と参加していると、「子供は地域社会全体で保護し、育てるもの。」という思想が皮膚感覚でわかる。
いっしょに体験して、いっしょに成長する因子に、お互いがなっていることがわかるのです。

そういう関係が続く中で20歳になったときに、「立派になったねえ。がんばんなよ。おめでとう。」と言ってもらったら、「ああ、この人覚えててくれたんだ」とか「面倒かけてすみません」とか「今度は私が恩返しする番です。よろしく」など胸に去来するものが生まれるでしょう。


成人式には、かつて通った学校や、さらに幼稚園や保育園で自分たちを担当してくれた先生も来てくれている場合があります。
会場で式典を始める前に、お世話になった人たちに挨拶や近況報告ができる場があると、その後の式典でも、あらたまった気持ちになるでしょうね。


タイトルとオチがえらいことズレちゃったけど、おわり。


| 2007.01.08 Monday | 16:23 | 子どもを通じた考察 | author : チチ |

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